2020年7月3日金曜日

53-35-RV ノーマン・カズンズ氏記念碑

53 ノーマン・カズンズ氏記念碑

建立年月日
2003(平成15)年8月2日
建立者
ノーマン・カズンズ氏記念碑建設委員会
制作者  吉田正浪(まさなみ)(当時・比治山大学教授) 
形状
高さ約120cmと約80cmの二つの自然石から成っている。大きい石には、カズンズ氏のレリーフとともに、同氏の著書 Human Option(人間の選択)から引用した碑文が英文と和文で書かれたブロンズのプレートが取り付けられている。小さい石には、緑色の地にカズンズ氏と広島の関わりが金文字の日本語で記された銅板が埋め込まれている。
建立の目的
原爆や戦争で肉親を失った子どもたちの精神養子運動や被爆女性の米国でのケロイド治療に尽力し、核兵器の廃絶を世界に訴え続けたカズンズ氏の功績を称えるため。 

碑文(英文併記)
「世界平和は努力しなければ達成できるものではない 目標を明確に定め責任ある行動をとることこそ人類に課せられた責務である ノーマン・カズンズ」 

特記事項
* ノーマン・カズンズ氏(Norman Cousins)1915~1990
米国ニューヨークの文芸雑誌『土曜文学評論』の編集長として、1949(昭和24)年8月に広島を訪れ、ルポ「4年後のヒロシマ」を発表しました。そこには、原爆や戦争で肉親を失った子どもたちを育成する「精神養子」の考えも記されていました。これは、善意のアメリカ人が子どもたちと法的でない養子縁組を結び、養育費を送ることで子どもの成長を支えるというもので、約500人の子どもが精神養子となり、総額2,000万円の援助が行われました。
さらに1955(昭和30)年、被爆女性の米国でのケロイド治療に尽力し、25名がニューヨークのマウント・サイナイ病院で、世界的に著名な形成外科医バースキー博士らの治療を受けることになりました。
これらの功績を称えて、1964(昭和39)年には、広島市特別名誉市民の称号が贈られました。 


広島原爆ドームの光と陰