2020年7月3日金曜日

51-66 被爆動員学徒慰霊慈母観音像

51 被爆動員学徒慰霊慈母観音像

建立年月日
1966(昭和41)年7月31日
建立者
当時の市内21校旧制中学校・女学校生徒遺族有志
制作者  砂原放光
形状
高さ2mの青銅の観音像が、何段にも積まれた築山に立っている。
建立の目的
原爆被爆動員学徒の無残な犠牲に対し、その霊を慰めるため。
碑文
「観音となりて平和を守りゆく少年学徒らのみたま尊し 山本康夫」
「慈母観音に抱かれ眠る汝が姿心にえがきてわれら安らぐ 益田礼助」 
特記事項
1. 旧制中学校・女学校の碑
この碑は、広島市内の旧制中学校・女学校21校の生徒の慰霊碑です。それら学校の生徒4,000人の名前がネームプレートに刻まれ築山に納められています。 
2. 新教育制度6・3・3制と旧制中学校・女学校
1947(昭和22)年、教育の機会均等をめざして学制が変わり、6年制の小学校、3年制の中学・高等学校が確立しました。小学校とともに新制中学校(修業年限3年)が義務教育、男女共学となりました。
新制度になるまでは、国民学校(小学校)6年の義務教育を終えると、そのほとんどが国民学校高等科(2年限)に進むか、中学校(男子5年限)、女学校(女子4年または5年限)に進みました。 
3. 学徒勤労令
1944(昭和19)年8月、学徒勤労令が発せられ、旧制中学校・女学校以上の学生、生徒に対して軍需産業部での勤労奉仕が強制されました。
さらに同年11月、空襲による火災の拡大を防ぐ目的から消防道路、防空小空地を造ることになり、広島市内では133ヶ所の建物疎開作業の後片づけに国民学校高等科、中学校、女学校の生徒8,000人以上が出動し、被爆により約6,300人が亡くなりました。 





広島原爆ドームの光と陰