2020年7月3日金曜日

34-30 友愛碑

34   友愛碑
建立年月日
1965(昭和40)年8月3日
建立者
日本損害保険協会広島地方委員会
制作者
彫刻 辻晉 堂 (当時京都市立美術大学教授) 
    台石 岩崎豊 (当時岩崎大理石工業所)
形状
ブロンズ製の彫刻と、万成石の台石からなり、彫刻の十字形は東西南北の人間がをつないでいる姿を表し、平和を希求する全世界の人びとの愛と良心のつながりを表現している。全世界の人びとから冥福の祈り受けている形となっている。(高さ3.3m)
 
建立目的
日本損害保険協会加盟会社の原爆犠牲者89人の慰霊と平和への礎を祈念するため。

銘文 「友愛」(揮ごう 日本損害保険協会会長 高木幹夫)
特記事項
1. 原爆による犠牲者
 当時、多くの損害保険会社は今の平和記念公園近辺にあり、午前8時15分始業だったことから、事務所や堆錦途上で被爆して行方不明になった職員も多くいた。当時約200人いた職員のうち、79人が年の12月までに亡くなりました。
2. 原爆と戦争保険
  政府は太平洋戦争開戦直後、戦争保険臨時措置法を公布し、戦闘行為に基づく火災、損壊による損害を保証する戦争保険を設けました。当初は、市民も空襲の実感が無く、保険金の支払も原則即時払いではなかったため、申込みは少くなかったのですが、1944(昭19)4月、戦時特殊損害保険法が施行され、火災保険契約に強制付帯するようになったことと、大都市への空襲が始まり、広島市民も一斉に申込みを始めたため、損害保険会社は連日繁忙をきわめました。
 原爆投下後、人びとの不安を収めるため、8月10日頃から焼け残った日銀店内に各社の合同支払事務所を設け、保険金の即時支払事務が行なわれました。
3.  8月4日の慰霊祭 
 毎年8月4日には、遺族、広島市内の小中学校の児童・生徒代表、教育関係者が多数参加して慰霊祭を行っています。

4. 慰霊碑としての碑文 
 将来のことを考え、単なる墓石ではなく広く市民に親しめるよう、碑文は「友愛」という表現とし、抽象的なデザインとされました。
 「原爆にたおれた損害保険関係犠牲者の霊を慰め、謹んでこの像を捧げる昭和43年8月3日 日本損害保険協会 広島地方委員会」という追悼文と犠牲者芳名などを銅版に刻み、銅製の箱に密封して、彫刻と台石のつなぎ目に埋め込んであります。


広島原爆ドームの光と陰