2020年7月3日金曜日

50_64 広島県農業会原爆物故者慰霊碑

50_64 広島県農業会原爆物故者慰霊碑

建立年月日
1971(昭和46)年8月6日
建立者
広島県農業協同組合中央会、広島県信用農業協同組合連合会、広島県経済農業協同組合連合会、広島県同栄社共済農業協同組合連合会、広島県厚生農業協同組合連合会
形状
高さ1m、幅2mの黒みかげ石製。
建立の目的
広島県農業会原爆犠牲者83人の慰霊のため。(原爆症による死亡者を含む)
碑文
「広島県農業会原爆物故者 慰霊碑」(揮ごう 農業会長 奥久登)
「昭和二十年八月六日午前八時十五分広島市上空に炸裂した一発の原子爆弾により全市は一瞬にして壊滅し阿鼻叫喚の巷と化す 猛火市井を襲って廃墟となり広島県農業会役職員八十余名尊き犠牲となる ここ広島支所の在りしゆかりの地に近く碑を建立して犠牲者の霊を祀る 昭和四十六年八月六日」
   (撰文  広島県同栄社共済農業協同組合連合会会長 行廣守)
   (揮ごう 広島県農業協同組合中央会長 伊藤實雄) 

特記事項
1. 広島県農業会
1942(昭和17)年9月、広島市役所の南側(現在の広島ナショナルビルの辺り)に近代的な木造2階建ての本所事務所が建設され、毎日200人余りの職員が勤務していました。 被爆当時判明しただけで職員71人が死亡、重傷者72人を数え、その後も多数の犠牲者が続きました。 

2. 広島県農業会広島支所
この慰霊碑の建っている場所に広島県農業会広島支所がありました。 元広島県農工銀行から譲り受けた建物で、国泰寺町に新事務所ができて本所事務所が移動したのち、広島支所として使用されました。6本の円柱が特徴的な4階建てのレンガ建築でしたが、原爆によって完全に破壊され、外壁の一部が廃墟として残るのみでした。厚いレンガ造だったため、しばらくは熱気で手がつけられず、1週間ぐらいたってからレンガを割り、その下にある遺骨を収容しました。 当日出勤していた支所長をはじめ、職員は全員犠牲となりました。 


広島原爆ドームの光と陰