2020年7月3日金曜日

5-26 広島市商・造船工業学校慰霊碑

5 広島市商・造船工業学校慰霊碑
(広島市商・・・広島市立商業学校。現在の広島市立広島商業高等学校)

建立年月日
1963(昭和38)年8月6日
建立者
広島市商同窓会、造船工業学校遺族
形状
大きなみかげ石の自然石に碑文が刻まれている。(高さ2m、幅3.5m)
建立の目的
全滅した生徒・職員の冥福を祈り、このような悲劇を繰り返さないことを誓うため。
碑文(碑陰)
「青天の霹靂とはまさにこのことであった 昭和二十年八月六日午前八時十五分われら郷土広島は ただ一発の原子爆弾によって この世ながらの地獄を現出し一瞬にして壊滅した・・・」(冒頭部分)

特記事項
1. 学校の変遷
広島市立商業学校は、戦争の末期に国策により市立造船工業学校に転換させられました。戦後、造船工業学校は廃校となり、広島市立第一商業学校を経て、1948(昭和23)年、広島市立商業高等学校になりました。 

2. 市立造船工業学校の犠牲者
被爆当時、爆心地から500m、材木町(ざいもくちょう)誓願寺(せいがんじ)付近の建物疎開作業に出動していた1年生195人、職員5人は、作業中に気分が悪くなり病院に行った1人を除き、全員が亡くなりました。爆心地に近く、遺骨もほとんど不明、わずかに弁当箱や焼け残った衣類が落ちているだけでした。
原爆による犠牲者は、その他の動員先や登校中の者を含め、270人にのぼりました。 


広島原爆ドームの光と陰