2020年7月3日金曜日

37 平和大橋・西平和大橋

37 平和大橋・西平和大橋 

建立年月日
1952(昭和27)年6月3日
建立者 広島市
設計者
イサム・ノグチ
(アメリカの彫刻家) 
形状
平和大橋 :全長85.6m、幅15m
西平和大橋:全長101.9m、幅15.3m 
特記事項
1. 平和大通りと橋の位置
1949(昭和24)年に制定された広島平和記念都市建設法により、平和記念公園の南側には、市の中心部を東西に貫き、中央に車道、両側に緑地帯と歩道のある幅員100mの道路が建設されました。1951(昭和26)年11月、市民公募により平和大通りと名づけられ、供木運動で緑地帯の植樹も進みました。
この平和大通りの平和記念公園への導入路に架けられたのが、元安川に架かる平和大橋と本川にかかる西平和大橋です。 

2. 「平和大橋」の名称
橋の名称は、懸賞応募による1,400余点の中から決められました。 

3. 奇抜なデザイン
あまりに奇抜なデザインのため、市議会をはじめ市民から「イモ虫みたいな欄干で子どもが川に落ちて危ない」などの反対意見が出され、結局、欄干は当初設計より20cm高く変更されました。
丹下健三東大助教授(当時)は「私の設計した平和記念公園を引き立てる立派な橋だ」と賞賛しました。 

4. 工事費
総工費約1億円のうち、10%は欄干に要しました。
「広島平和記念都市建設法」の成立をきっかけに、アメリカの対日援助資金を受けて建設されたこの両橋は、他の平和記念施設の建設に比べ短期間で完成しました。 

5. 橋のイメージ
設計者のイサム・ノグチが、1984(昭和59)年に広島市を訪れた際に、次のように説明しています。「平和大橋は生を象徴する太陽の形を、西平和大橋は犠牲者が黄泉の国へ船出する死の象徴として船の竜骨をかたどった」 


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