3 義勇隊の碑
建立年月日
1964(昭和39)年8月6日
建立者
安佐郡佐東町川内村温井(ぬくい)遺族一同
形状
自然石でできた碑石の、正面に「義勇隊の碑」、裏面に犠牲者の氏名が刻まれている。
建立の目的
被爆の惨状と義勇隊員の尊い犠牲を語り継ぐとともに、平和の尊さを訴える。
碑文(碑陰)
「謹みて義勇隊員の霊にささぐ 我等はみな忘れまじ 悲しみて余りある惨状の日を そは昭和二十年八月六日午前八時十五分なり 原爆この地に投下され阿鼻叫喚の巷の中で 苦悶のはてに 吾がはらからは いまここに眠る・・・」
特記事項
1. 国民義勇隊
1945(昭和20)年、政府は本土決戦にそなえ、「国民義勇兵役法」を制定しました。全国各地で職場・学校・地域を単位として「義勇隊」が編成され、男子は15歳から60歳まで、女子は17歳から40歳までの全国民が編入されました。
2. 川内村温井の犠牲者
被爆当時、爆心地から約600m、中島(なかじま)新町(しんまち)付近で建物疎開作業に従事していた川内村の義勇隊250人は全員が亡くなりました。そのうち温井地区はひとつの地域としては特に多い180人の犠牲者を出しました。
3. 残された家族
犠牲となった隊員は、一家の中心的働き手ばかりで、残された老人、子ども、女性は厳しい生活を強いられました。
4. 原爆精霊供養塔
西区の三滝墓苑には、村人が「義勇隊の碑」建立までの合同供養のため建てた精霊供養塔があります。