2020年7月3日金曜日

23 峠三吉(とうげさんきち)詩碑

23 峠三吉(とうげさんきち)詩碑

建立年月日
1963(昭和38)年8月6日
建立者
平和のための広島県文化会議、
峠三吉詩碑建設委員会
詩文
表:三宅一子
裏(英訳):大原三八雄(みやお) 
形状
コンクリートに黒玉石を埋めた台座に高さ70cm、幅110cm、厚さ50cmの黒みかげ石が置かれ、表に峠三吉の詩文、裏面には詩の英訳が刻まれている。 
建立の目的
占領軍の弾圧に屈せず、最期まで活動を続けた峠三吉の勇気と平和への熱意をたたえるとともに、彼の遺志を継ぎ、核兵器廃絶の決意を新たにする。 

碑文
 「ちちをかえせ
  ははをかえせ
  としよりをかえせ
  こどもをかえせ
  わたしをかえせ
  わたしにつながる
  にんげんをかえせ
  にんげんの
  にんげんのよのあるかぎり
  くずれぬへいわを
  へいわをかえせ
         峠三吉」 

特記事項
1. 峠三吉
峠三吉は28歳の時、爆心地から3km離れた翠町の自宅で被爆しました。戦後、青年運動・文化運動を通じ次第に平和運動の先頭に立つようになり、原爆反対、平和擁護の作品を数多く発表しました。   1953(昭和28)年3月10日、国立広島療養所で手術中に死去。享年36歳でした。 

2. 『原爆詩集』
朝鮮戦争が始まり、占領軍による原爆反対運動への弾圧が激しさを増す中、トルーマン大統領の“朝鮮戦争に原爆使用もありうる”という声明に触発され、『原爆詩集』をまとめる決意をしました。
この作品は、1951(昭和26)年ベルリンの全世界青年学生平和祭に、日本の代表作品の一つとして送られ、世界的な反響を与えました。
碑文はこの詩集の序として書かれたものです。 




広島原爆ドームの光と陰