2020年7月3日金曜日

22 材木町(ざいもくちょう)跡碑

22 材木町(ざいもくちょう)跡碑

建立年月日
1957(昭和32)年8月6日
建立者
旧材木町生存者有志
形状
自然石に「材木町跡」と記されている。 
建立の目的
他に疎開などしていて生き残った旧町民が平和記念公園に変わった旧町を惜しむとともに、犠牲者の冥福を祈って建立したもの。 
碑文 「材木町跡」 
特記事項
1. 材木町
材木町は、かつて市内の繁華街の中心として栄えた中島(なかじま)地区の一角で、町名のとおり藩政時代には材木問屋が集まり、川沿いでは材木の集散が行われていました。ゆったりとした住宅街には、広島で一、二を争うほど大きかった誓願寺(せいがんじ)をはじめ、歴史の古い寺が建ち並び、妙法寺のかさもりさん、安楽院の子安観音など市民に親しまれて、のどかな下町情緒を漂わせていました。 

2. 消えた町
材木町は爆心地からわずか500m、一瞬にして壊滅しました。住民はもちろん、隣接する町とともに建物疎開地域に指定されていたため、作業に動員されていた中学生や女学生も多数犠牲となり、無残な姿で死んでいきました。焼け野原と化した町は、戦後、平和記念公園となったため、その姿を消しました。 

3. 小さな碑
旧町名のみが刻まれているこの小さな碑は、説明板もなく、木立の中にひっそりと建っています。 


広島原爆ドームの光と陰