2020年7月3日金曜日

13 平和の観音像【平和乃観音像】

13 平和の観音像【平和乃観音像】
(中島本町(なかじまほんまち)町民慰霊碑)

建立年月日
1956(昭和31)年8月6日
建立者 中島本町会
制作者
荒井秀山(彫刻家)
形状
銅製の観音像。台座正面に「平和乃観音」、碑陰に「嗚呼中島本町の跡昭和三十一年八月六日中島本町建之廣島市長渡辺忠雄謹書」と刻まれている。
建設の目的
無くなった町に対する惜別の情と犠牲者への慰霊のため。 

特記事項
1. 中島本町
中島本町と、この像が建っている平和記念公園の北側一帯は、幕末から明治・大正・昭和初期にかけて、市内の繁華街の中心でした。スズラン灯が夜の街を彩った中島本通り商店街には、大きな店舗が並び、映画館やカフェは多くの人でにぎわっていました。 

2. 消えた町
中島本町は爆心地にほど近く、住民はほぼ全滅、458人が犠牲になりました。戦後、この地は平和記念公園となったため、生存者も転地を余儀なくされ、町は姿を消しました。 

3. 復元地図
像の手前に「中島本町被爆復元地図」があり、これは、生き残った町民により結成された中島本町会のメンバーが当時の記憶や米軍撮影の航空写真を頼りに作成したもので、失われた町への思いと記憶を永遠に伝えようとしています。 

4. 芸術作品としての平和観音像
当初、平和記念公園内に宗教的なものを建ててはならないという指導がありましたが、芸術作品ということで承認されました。中島地区の公園内に最初に建てられた碑です。


広島原爆ドームの光と陰