2020年7月3日金曜日

12-19 被爆した墓石(慈仙寺(じせんじ)跡の墓石)

12-19 被爆した墓石(慈仙寺(じせんじ)跡の墓石) 

建立年月日
1689(元禄2)年
形状
五輪塔(台座付き)。24枚の花弁で飾った台座の上に「地」の文字のある四角な石、その上にはそれぞれ「水」「火」「風・空」の文字を彫った三つの石が据えてあった。
特記事項
1. 慈仙寺跡
当時、太田川が元安川と本川に分かれるあたりは「慈仙寺の鼻」と呼ばれていましたが、それはここに慈仙寺という浄土宗の大きなお寺があったからです。その慈仙寺は爆心地から約200mで、全ての建物は壊滅、住職ほか2名は清掃中に即死、浴室で洗濯中の住職の妻も重傷で翌日死亡し、結局全員が亡くなりました。 

2. 墓石と爆風
強烈な爆風で境内にあったたくさんの墓石も吹き飛ばされ散乱しました。被爆当時の姿で残されているこの墓(爆心地から約270m)は、広島藩浅野家御年寄の岡本宮内(くない)のものです。 

3. 被爆当時の地面
平和記念公園の中で、被爆当時の地面をそのままとどめているのは、この墓地だけです。公園が盛り土して建設されたため、周囲を石で囲んで、池の底のようになってしまったこの部分が当時の地面です。(斜め前に落ちている「風・空」の部分はひとつの石ですが、流れ込んだ砂で、下側の「風」の部分が埋まって見えなくなっています。) 

4. 現在の慈仙寺
1946(昭和21)年、応召中だった住職の長男が復員し、復旧作業がはじまりました。現在は中区江波二本松にあり、これ以外の墓は移されました。 
 
 






広島原爆ドームの光と陰