2020年7月3日金曜日

11 韓国人原爆犠牲者慰霊碑

11 韓国人原爆犠牲者慰霊碑

建立年月日
1970(昭和45)年4月10日
建立者
韓国人原爆犠牲者慰霊碑建立委員会
形状
亀を形どった台座の上に碑柱が建ち、その上には双竜を刻んだ冠が載せられている。(「死者の霊は亀の背に乗って昇天する」という故事に倣う)
碑石はすべて韓国の銘石で、現地で製作され運ばれた。(高さ5m、重さ10トン) 
建立の目的
強制労働等により広島で被爆した同胞の慰霊と、再び原爆の惨事を繰り返さないことを願うため。
碑文(裏面)日本語訳
「悠久な歴史を通じて、わが韓民族は他民族のものをむさぼろうとしなかったし、他民族を侵略しようとはしませんでした。(中略)
しかし、5千年の長い民族の歴史を通じて、ここにまつった2万余位の霊が受けたような、悲しくも痛ましいことはかつてありませんでした。
韓民族が国のない悲しみを骨の髄まで味わったものが、この太平洋戦争を通してであり、その中でも頂点をなしたのが原爆投下の悲劇でありました。・・・」 
特記事項
1. 日韓併合と強制連行
明治維新以後、朝鮮支配を進めた日本は、1910(明治43)年の日韓併合により朝鮮を植民地としたため、生活基盤を失った多くの人々は職を求め日本に渡らざるを得ませんでした。また、戦時中の労働力不足を補うため、強制連行や徴用によって多くの朝鮮人が日本で働かされ、敗戦時、日本には約300万人の朝鮮人がいたといわれています。 

2. 原爆による犠牲者
当時広島市内には、数万人にのぼる朝鮮人がいて被爆したといわれています。 

3. 平和記念公園内への移設
碑は、朝鮮王家の一族李殿下が原爆被災後にその姿を発見された場所に近いという“ゆかり”から本川橋西詰めに建立されました。その後平和記念公園内への移設について各方面から強い要望が出され、広島市と関係者との協議により、1999(平成11)年7月公園内に移設されました。移設後は、双竜を刻んだ冠の中に納めていた死没者名簿は、亀座部分前方地面の箱の中に納められています。





広島原爆ドームの光と陰