47 原爆犠牲ヒロシマの碑
建立年月日
1982(昭和57)年8月5日
建立者
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会
制作者
芥川永(ひさし) (当時・比治山女子短大教授)
形状
花崗岩の台座の上に、原爆瓦を組み合わせたパネルと碑文、その裏に、焦土広島のパノラマ写真、原爆瓦発掘作業のレリーフ、これに説明(和英)を加えた陶板がはめ込まれている。その上に「戻れない風」をテーマに昇天する犠牲者の魂を表現したブロンズ像が置かれている。(碑の大きさ:幅3m、高さ1.5m、奥行き0.7m)
建立の目的
原爆により犠牲となった人々の叫びを永遠に記し、ヒロシマの心をあらわすとともに、戦争の悲惨さと核兵器廃絶の課題を学び、平和への決意を固めるため。
碑文
「天が まっかに 燃えたとき わたしの からだは とかされた ヒロシマの叫びを ともに 世界の人よ」
特記事項
1. 原爆瓦(被爆瓦)
爆心地に近い原爆ドームそばの元安川河床には、原爆の熱線で表面が溶けた瓦がたくさん埋まっていました。1977(昭和52)年以降、平和記念公園一帯で平和学習を続けていた広島県高校生平和ゼミナールの生徒たちは、数千点に及ぶこれらの瓦を掘り出しました。彼らはこれを「原爆瓦」と呼び、くずれた破片に犠牲者の叫び、苦しみを重ね合わせていたのです。
2. 瓦の発掘と記念碑建設
1981(昭和56)年、広島市が元安川の美化工事にのり出した時、高校生たちは、瓦の発掘と平和への決意を固める碑の建設を呼びかけました。戦争も原爆も知らない世代が中心となってつくりあげたこの碑には、彼らの努力の結晶である「原爆瓦」がはめこまれています。
3. 公募された碑文
碑文は、全国の小・中・高校生から寄せられた2,000点をこえる案の中から選定されたものを原案に、碑文作定委員会が作成しました。原案は被爆二世の蔵田順子さん(当時、安田女子高校生)が寄せたものです。