2020年7月3日金曜日

45 広島郵便局職員殉職碑

45 広島郵便局職員殉職碑

建立年月日
1975(昭和50)年8月
建立者
広島郵便局有縁の有志
形状
四国産の青石に碑文が記されている。
碑文
「殉職の碑  広島郵便局職員288名  原爆により殉職」 (広藤正人 筆) 
特記事項
1. 広島郵便局(通称 本局)
1871(明治4)年に広島の通信の中心として開設、1893(明治26)年に煉瓦造り一部モルタル塗り地上3階、地下1階のモダンな建物を建設、当時は「1に県庁、2に郵便局」と大評判だったそうです。場所は、島病院説明板(爆心地)と向き合った駐車場タワーのある位置で、三叉路に面して三階建てのモダンな時計塔を持つ正面玄関がありました。 

2. 被災状況
爆心直下だったためセ氏3,000~4,000度の高熱、1㎡あたり30tといわれる衝撃波に建物は一瞬で潰れました。内部にいた人達は光も音も感じる間もなく死亡されたと思われます。
その日の夕方には誰とも判らぬ多数の白骨と黒焦げの死体が瓦礫のそばに転がっているだけでした。 

3. 殉職者
当時は多数の男性職員が軍隊にとられて、戦場を離れていました。原爆の犠牲となった人の多くは、人手不足を補うために採用された女性や学徒動員の女学生、国民学校高等科の生徒たちでした。 

4. 「広島郵便局原爆殉職者之碑」
比治山公園多聞院境内に建てられた「広島郵便局原爆殉職者之碑」にはこの288人の名が深く刻まれています。
2000(平成12)年の新聞社の調査では、この他にも1人の女学生と育児室にいた8人の幼子の犠牲があったことが判りました。


広島原爆ドームの光と陰