43 爆心地・島(しま)病院(原爆被災説明板)
建立年月日
1933(昭和8)年8月31日(開院)
形状(当時の島病院)
近代的なレンガ造2階建てで、玄関の両サイドの丸柱と円形窓が印象的な建物だった。
説明板
「テニアン島から飛来した米軍機B-29「エノラゲイ号」から人類史上最初に投下された原子爆弾は、この上空約600mで炸裂しました。爆心直下となったこの一帯は約3,000~4,000度の熱線と爆風や放射線を受け、ほとんどの人びとが瞬時にその生命を奪われました。
時に1945(昭和20)年8月6日午前8時15分のことでした。」
特記事項
1. 爆心地
当時:広島市細工町(さいくまち)29-2、島病院上空
現在:中区大手町一丁目5-24、島外科南側大手町第3駐車場上空
東経132度27分27秒、北緯34度23分29秒、高度約600m
2. 原爆炸裂の瞬間
T字型の相生橋を投下目標にしたとされる原爆は、島病院の上空約600mで炸裂しました。小型の太陽ともいえる灼熱の火球は直径280mに膨れ上がり、中心温度はセ氏100万度を超えました。爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達し、秒速440mの爆風が吹きぬけました。(鉄の溶ける温度は約1,500度、太陽の表面温度は約6,000度)
3. 爆心地の推定
熱線による影の方向を基礎データとし、その方向を地図上に落とし、交差する地点を爆心地としました。
4. 島病院の被災状況
被爆当日、島病院の院長(島薫)は出張診療で不在だったため難を免れました。建物は瞬時に壊滅し、約80人と推定される患者・看護婦などの病院内にいた人は全員が亡くなり、姿は跡形もなかったといいます。