2020年7月3日金曜日

41-7 原民喜(はらたみき)詩碑

41 原民喜(はらたみき)詩碑

建立年月日
1951(昭和26)年11月15日
(11月15日は原民喜の誕生日)
建立者  原民喜委員会(日本ペンクラブ、広島文学協会)

設計者 谷口吉郎(よしろう)(当時・東京工業大学教授) 
形状
ついたて風のみかげ石。表には、民喜自筆の詩稿を黒みかげ石(当初は陶板)に刻みはめ込んでいる。裏側には、佐藤春夫直筆の撰文を彫った銅板がはめ込まれている。(高さ93cm、幅61.5cm、厚さ27.5cm)
建立の目的
生前、原民喜と親交のあった、作家や文学者たちが故人を偲んで建立。

碑文(撰文)
「遠き日の石に刻み 砂に影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」 (原 民喜) 

特記事項
1. 原民喜
詩人原民喜は、40歳の時に幟町の生家で被爆しました。前年、最愛の妻と死別していた彼は、孤独と絶望に打ちひしがれながらも、生き残った者の使命として被爆の惨状を伝える作品を書き続けました。
しかし、朝鮮戦争が拡大、トルーマン大統領の「原爆の使用もありうる」との声明などに失望し、1951(昭和26)年3月13日、東京中央線の線路に身を横たえ自ら命を絶ちました。享年45歳でした。 

2. 『夏の花』
自らの被爆体験を記録的に小説にした、原民喜の代表作。
被爆した幟町の生家から逃れ、浅野邸(縮景園)で2日間野宿し、八幡村(現在の佐伯区五日市町)に移るまでの惨状をノートに記し、2年後に発表したものです。 

3. 詩碑の再建
詩碑は当初、亡くなった年の11月に広島城跡の石垣を背にして建てられていましたが、心ない人々の石投げの的とされ、表面の陶板は穴だらけとなり、裏面の銅板も盗まれてしまいました。現在の碑は1967(昭和42)年7月29日に修復移設されたものです。その後、一帯の歩道工事に伴い、2005(平成17)年5月21日、詩碑は約4m南に移設されました。その際に、陶板が黒みかげ石に替えられました。 


広島原爆ドームの光と陰