2020年7月3日金曜日

39 中国・四国土木出張所職員殉職碑

39-4 中国・四国土木出張所職員殉職碑
〔建設省(内務省)職員殉職碑〕 

建立年月日
1954(昭和29)年8月6日
建立者
建設省中国四国地方建設局職員一同
形状
自然石(高さ1.2m、横1.5m、呉市郷原町産出)でできた慰霊碑(供養塔)である歌碑と殉職者52人の名前を刻んだ石が設置されている。
碑文
歌碑:「原爆のいけにえとなりし人びとは、なごみゆく世のいしずえにして」
碑陰:「元内務省中国四国土木出張所職員52名は国民義勇隊として作業中昭和20年8月6日の原爆並びに戦災により、平和の礎となりこの地に眠る、昭和29年8月6日、建設省中国四国地方建設局職員一同建之」 

特記事項
1. 殉職者と被害状況
現在原爆ドームと呼ばれている広島県産業奨励館の3階全部と1階の一部を借りて入っていた出張所の職員93人のうち、牛田町官舎等へ疎開していた人たちを除き、殉職者52人(内訳は男性30人、女性22人で、そのうち庁内執務者13人、作業出動者32人、行方不明者7人でした。)と負傷者9人という大きな被害を受けました。 

2. 慰霊碑(供養塔)の歴史
1947(昭和22)年に木製で建立されましたが、1954(昭和29)年に自然石の歌碑(墓石)に取り替えられました。原爆ドームの敷地内は、広島平和都市建設法による公園指定地であるため墓碑の設置はできませんが、歌碑とすることで設置が可能になりました。歌碑には、当時の所長であった阿部一郎氏の追悼詩「原爆のいけにえと・・・」が刻まれました。 

3. 碑文の意味
「しだいに復興されていく新生日本の礎として、不運にも原爆でなくなられたかたがたを思うにつけ、この貴い犠牲を無にしないよう我々は、君達がねがいはたさなかった平和な国の建設に、より一層の努力を傾けたいと思う。どうかやすらかにお眠り下さい。」(建設省中国地方建設局(現在の国土交通省中国地方整備局)の資料より) 

4. 慰霊碑案内石柱
石柱「建設省(内務省)職員殉職の碑の地」は、1980(昭和55)年に(社)中国建設広済会によって建立されました。


 

広島原爆ドームの光と陰