16 原爆の子の像
建立年月日
1958(昭和33)年5月5日(こどもの日)
建立者
広島平和をきずく児童・生徒の会
制作者
菊池一雄(当時・東京芸大教授)
形状
三脚のドーム型の台座の頂上に金色の折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像(平和な未来への夢を託している)が立ち、左右に少年少女の像(明るい未来と希望を象徴)がある。(高さ9m)
建立の目的
佐々木禎子さんをはじめ原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、世界に平和を呼びかける。
碑文
「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」
特記事項
1. 佐々木禎子さん
2歳の時被爆した佐々木禎子さんは、幸いけがもなく、元気で活発な少女に成長しました。ところが、10年後の小学校6年生の時に突然白血病と診断され、8か月間の闘病生活の後、1955(昭和30)年10月25日に短い生涯を終えました。禎子さんは「鶴を千羽折ると病気が治る」と信じ、薬の包み紙や包装紙などで1,300羽以上の鶴を折り続けました。病気を乗りこえ、懸命に生きようとした「サダコ」の物語は、ヒロシマの悲劇の象徴として、日本だけでなく海外でも広く語り継がれています。
2. 子どもたちの運動
禎子さんの死に衝撃を受けた同級生たちは、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけました。やがて、子どもたちによる募金活動が始まり、全国3,100校余りの生徒と、イギリスなどの国外からの支援により、像を完成しました。
3. 鐘と金色の鶴
塔の内部には、子どもたちの気持ちに感動したノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸を模した鐘がつられ、その下に金色の鶴がつるされ、風鈴式に音が出るようになっています。(この鐘と鶴は2003(平成15)年に複製されたもので、オリジナルは広島平和記念資料館東館1階ロビーに展示されています。)
4. 折り鶴台(ブース)の整備
この「原爆の子の像」に捧げられる数多くの折り鶴を雨露から守るため、2002(平成14)年4月に、像の周囲に新たに屋根付きの折り鶴台(ブース)が整備されました。